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2018.11.02

舞踊家として女性としての30代

39歳と言う年齢に別れを告げる時、考えること。

なんと大変な一年だったことだろう。

なんと幸せな30代だったことだろう。

この一年は私にとって試練の年だった。やりたいことと出来ることの狭間で、時間だけが過ぎていくような感覚。欲だけが私を取り巻く時もあれば、無欲という空っぽの状態になることも。

こんなに孤独を感じた年もないかも知れない。何か対象とぶつかるなり、分かち合うなりした時に想う孤独とは全く別物であった。

自らの力では何も出来ないものと向き合い、何も出来ないが故に、ただ生き急ぐ感覚。それが私にとって大きな孤独だった。

私の唯一の救いの手は自らの好奇心だった。

見えないものは一体何なのか?自分の力ではどうする事も出来ないと思っているものの正体は何なのか?その答えをひたすら探し続けた。

30代の終わりを迎えるこの2、3年くらいでようやく子供が欲しい。と思い始めた。

というのも女性には何度も波がやって来ると思う。

瞬間的にやって来るその波に乗れる時と、次の大きな(期待)波を待つ時。

結果私は波を見続け、乗らずにきた。そのかわりに舞踊という海を思う存分楽しんで泳いできた。

想像以上に海は深く、年齢を重ねるごとに深く潜れる喜びと楽しみがあった。

しかし波には期限があり、選択という時期が迫って来た。若い頃は子供が欲しければいつでも出来る。という感覚だったが、私のあまりに拙い知識では知り得ない事だらけだった。年齢だけが関係する事ではないが、明らかに一番大きな要因としてある。

そして身体を酷使してきた代償もある。「体重が落ちすぎ」「筋肉を使いすぎ」などの理由で上手くホルモンが働かなかったりする。排卵が出来なかったり、出来ても次なるホルモンが足りず、長続きがしない。

病院へ通い、薬や注射の助けを借り、その度に身体に現れる変化に毎日のようにストレスになる。そこに確固たる確証があれば我慢出来ることも、5、6週間だけの束の間の喜びだけで、駄目になっていくという空虚感。そして身体を戻すのに何ヶ月もかかる。

こういうことをこの数年で何度も繰り返し、何度も涙を流し、何度も立ち直ってきた。

そして大きなことを学んだ。委ねるという事。

私の父は医者なので、医療に関して私は何ら否定的なものを感じない。この歳になり、子供を持ちたいという事は、少なからず助けが必要だと思っている。最新医療も多いにウエルカム。出来ることして来たし、これからもして見たいと思っている。

同時に舞踊を私から切り離す事は不可能だという事もはっきりした。

医療にも時にも私自身の感覚にも委ねる必要がある。

今の私はすっかり舞踊に打ち込んでいる時期にまたなっている。そこにはストレスもなく、今を心から楽しんでいる。時がいつ来るか分からない。いつも若く見られるから、45歳くらいで授かって踊るという奇跡的な人になるかも知れないし、夫婦2人で子供のような感覚で生きていくかも知れない。

選択を自らし続けて来た39年間だったと思っているけど、人生において選択をし続けるということは、不可能なんだということをやっと学んだ。

そういう風に思うと、どれだけの人と環境が私を「選択してもいいよ」という立ち位置に置いてくれていたかと思うと改めて感謝をしなくてはいけない。

40代に入る前にこういうことを考えられる30代を過ごせた事を私この上なく幸せに思う。

ありがとう。